その5ではRTO時の確率密度曲線を紹介しましたが、今回はこれに関係する考え方を紹介します。
この考え方を下記のやりとりで分かり易く紹介しましょう。
巡航中のコクピット内でのやりとりです。
キャプテン、
エンジンから少し異音がして弱い振動を感じます
確かに、妙な音と振動だ
何が起こったのでしょうか
3つの原因が考えられるなあ。どれだろう?
重大 Severe Damage(大ダメージ)
中程度 Surge(エンジンサージ)
軽微 軽微なDamage(ダメージ)
3つのどれかを特定して、いずれかのチェックリストを適用するのかという決断(意思決定)が必要になるのですが、今回のテーマとの関係、おわかりになりましたか?
このような重大な局面でコクピットでは、「結果(音と振動の度合い)から原因(エンジンのダメージ)を推定する」という事が求めらている。
お医者さんと同じですね。
上記が今回のメインテーマです。
筆者の経験ですが、恥ずかしながら、高校、大学では統計学をまともに習ったことはありませんでした。
また習ったとしても表面的な詰め込み教育の結果、根本的なことを理解せずに終わってしまっていたと思います。
しかしながら、現場での運航を何千回と繰り返し、リスクと対面して幾度となく悩んだ末に心底理解できたことがいくつかあります。
その中の一つが上記の概念です。
とはいえ、上記の「結果から原因を推定する」という概念は目新しいものではありません。これは一般的に「ベイズ統計学」に関連つけて紹介されています。
ベイス統計は下記サイトのように玉を取り出すときの例えで紹介されることが多いようです。
https://bellcurve.jp/statistics/course/6444.html
このわかりやすいサイトからイラストを引用させて頂きます。
目隠しをして袋1~3が入っている箱から、玉を取り出したところ白い玉が1つ出てきました。「この白玉は元々度の袋に入っていたのでしょうか?」
という問題です。
原因と結果に置き換えてみましょう
観測された結果は → 白い玉が出てきた
推測する原因は → 白い玉が袋1にあった(白い玉が袋1にあった確率)
割と身近な例えですが、実は筆者は生まれて以来、本当に上記のような目隠しで袋から取り出す事を行ったことはありません。
つまり、ベイズ統計を学ぶときには、上記の例の理解でおしまいになってしまい、現実との摺り合わせが出来ずに応用が出来ないケースが多いと感じられます。
筆者も何冊か本を購入してみたものの、難解な説明が多かったり、そこで紹介されている身近な例が今ひとつピント来なかったりでつまづいておりました。
これを読んでいらっしゃる方は、航空業界の方という前提で考えますと、業界が直面している身近な例で考えるのが一番です。
そこで下記のイラストを考えてみて下さい。
小さい音や振動がエンジンから感じられた。真のダメージはどの程度なのか?
という問題を袋と色つきの玉に置き換えてシンプルにしています。
いかがでしょうか?
パイロットが決断を迫られている時の思考が見事にモデル化されていると思います。
上のイラストの前提として、重大なエンジンダメージの結果としては、
小さい音、弱い振動(白玉) < 大きい音、強い振動(赤玉)が観測される
というごく単純な図式(白玉と赤玉の割合:確率)を考えております
振り返ってみますと、実生活ではこのように、「結果から→原因を推定する」という推論は多く行われています。
オンライン会議用のアプリに接続できない。→ 自分の落ち度?会社?
朝起きて体温を測ったら高い。→ コロナ?インフルエンザ?
朝起きたら居間にペット用の餌が散乱している。→ ペットの仕業?自分?
更にコクピットの世界に例えてみても沢山あります。
降下中、先行便にTB1の揺れがあったとカンパニーから連絡があった。→
予報されていたウインドシアーが原因になった揺れなのか?
それともウェークタービュランス(Waketurbulence)による揺れなのか?
降下中、カンパニーから着陸空港の視程が悪化していると連絡があった。→
一時的な雷雲通過によるものなのか?
継続的な気象悪化によるものなのか?
いかがでしょうか。
今回は、コクピットでは結果から原因を推定するという事を、ごく一般的に行っている事を紹介しました。
実はイラスト1において白玉が袋1から出てきた確率は簡単に求めることが出来ます。
一方、イラスト2において、白玉が重大ダメージから出てきた確率をコクピットで求めるのは大変困難です。
この困難さがこれまでお話ししてきた機長の意思決定の困難さの一つであると思います。
次回はこの点をもう少しお話ししましょう。